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昔の山はマツタケに適した環境だったのです [町起こし]

NHKのいのちドラマチックという番組でマツタケのことをやっていました。

昭和40年頃、マツタケの収穫量は1万5千トン程で、現在の500倍もあったそうです。
実際、子供の頃には毎年食べることができていました。

赤松は痩せた土地を好みます。
マツタケというのは赤松の根と栄養を補給し合って共生するのです。
腐葉土が積もり富栄養化した土地では、他の菌に負けて生きていけないのです。

子供の頃の島の山は、御影石が風化した砂土に覆われ、松だけが生えていました。
ですから道が無くても山全体が遊び場所でした。現在の山は雑木林となり、羊歯に覆われ
道以外には足を踏み入れることができません。

本島には歴史ある神社が数多くあり、どの社にも樹齢数百年の松があって、
神社らしさを醸し出していました。大人になって島を離れ、ある時帰省すると
松が枯れてしまい、すっかり気が失せたように感じてショックを受けました。
山は季節外れの紅葉のように、松が赤茶けて枯れていました。

原因の一つは、日本の燃料革命だそうです。燃料がプロパンガス等の化石燃料に変わり、
薪を採らなくなったせいで腐葉土が蓄積し、松は生きていけなくなったのです。
そしてマツタケも消えていったのです。

マツタケの人工栽培は未だ成功していないとのことです。
一方、マツタケを復活させるNPOがあり、松以外の木を伐採し、
腐葉土を掃きとると、マツタケが出てきたそうです。

ほんじまの山も、松を復活させたい、白砂青松を取り戻したいものです。
「マツタケを採ろう」が、素晴らしいキーワードかもしれません。

また神社には、耐性松か、楠か、銀杏を植えて、
数百年先には気の宿った神社にしたい-そんなことを考えさせられた「いのちドラマチック」でした。

【松が枯れ、雑木林となり、腐葉土のある土地ではマツタケは採れない】
DSC_0540.JPG


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ひさ

やっぱり、昔は松茸がたくさん採れたのですね。私の記憶でも秋になると松茸ごはんを飽きるほど食べていた記憶があります。もちろん買って食べていたわけではなく、近くの山で適当に採れていました。ただ、今と違って傘が開いた状態で採っていました。なぜかというと、開いたほうが体積が多くくなって量が多いからです。(より成長している)ですので、開いていないのを見つけたときは、採らずに残しました。それくらいたくさんあり、また、採るほうも余裕があったと思われます。そころ松茸が一番多く採れました。少なくとも椎茸のほうが高級だったと思います。
by ひさ (2013-03-31 19:42) 

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